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キリシタンのあしあとを求めて各地を旅してめぐります♪

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端坊

                           山口県教会跡、キリシタン関連史跡

キリシタン時代、最後の教会があった場所


山口でキリシタンが許されていた時代、最後の教会があったとされる場所。

1598(慶長3)年から1604(慶長9)年にかけて、神父の滞在が許され、教会があったとされる地で、毛利輝元の家老の家として没収され、後に寺が建てられて現在に至っています。解説板も何もありませんが、神父が駐在し、キリシタンが祈っていた場所です。

端坊


キリシタンに対する毛利輝元の態度は変わりやすく、神父を近くし教会用地を与えたと思えば、キリシタン弾圧に変じ、信徒を処刑したこともありました。

許可と追放がめまぐるしく繰り返されたため、順序が錯綜している文献もあります。

しかし1605年のイエズス会年報に「僅か前に佐世は住院を没収し自分のものにした」とあるので、輝元の家老佐世の屋敷をたどると、当時教会があった場所がわかります。

端坊の門


神父が駐在できた最後の教会があったのは、現在端坊という名の寺になっており、多くの寺と墓地がひしめき合う地帯の一角にあります。

神父が山口にいられたのは、関ヶ原の戦いをはさんだ短い期間に限られていました。

この頃は毛利氏は西軍についており、まだ次代の趨勢がどこに向うのかがわかっていませんでした。

また西軍にはキリシタン武将が多くいたので、彼らの意向を慮ってキリシタンを受け入れたり、様々な思惑でキリシタン政策が左右されたものと考えられます。ここから取り去られた後山口では、明治になるまで教会がありませんでした。ほとんどの信徒はより迫害の少ない田舎に移住していきました。


端坊

端坊の門

端坊の文字

端坊の本堂


 
現地への行き方
JR上山口駅から徒歩10分ほど。



この地図は大体の位置を示すものです。訪問の際は現地の案内や地図で所在地を確認してください。

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