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大寧寺

                            山口県キリシタン関連史跡

布教の許可をした大内義隆が眠る寺


ザビエルに2回会い、キリスト教の布教を許可した大内義隆が眠る寺。

大寧寺(たいねいじ)は山口県の長門に位置する歴史ある大寺院。義隆は周防・長門を治める大名でした。
家臣であった陶晴賢に攻められ長門まで逃れて来ましたが、最早これまでと悟り、この寺のお堂で自刃し、葬られました。

1549(天文18)年に来日したフランシスコ・ザビエルとコスメ・デ・トルレス神父、フェルナンド修道士と2度に渡り会談し、彼らに布教の許可まで与えたにも関わらず、西洋の進んだ技術と工芸品にのみ関心を寄せ、キリスト教には反発するほどでした。

大内義隆主従の墓


自刃した大内義隆とついて来た家臣らの墓は、石段を登った山の斜面にあります。

明るく開けた境内の一角ながら、ここだけは暗くよどんだ雰囲気が漂っています。

義隆がこの寺で詠んだ辞世の句は、「討つ者も 討たるる者も 諸ともに 如露亦如電 応作如是観」。禅の教えに沿った内容で、無常観を詠んだものです。

経蔵跡


墓地への石段の脇にあるのは、義隆の重臣、冷泉隆豊が踏み止まって奮戦したという経蔵の跡。
この隆豊の介錯によって義隆は自害しました。

義隆がザビエルと謁見し、キリスト教の教理を聞いた時、一番反発したのは男色が罪であるということで、隆豊はその相手の一人だったといわれています。

保護を与えてくれるかもしれぬ義隆に向って、罪は罪だときっぱりと話したザビエルの心意気に拍手を送りたいです。


大寧寺の由来

大寧寺地図

大寧寺解説板

本堂

義隆の墓

解説碑

家臣らの墓

家臣らの墓

義隆姿見の井戸碑

姿見の井戸

姿見の井戸解説

井戸と兜掛け岩


 
現地への行き方
JR下関駅から車で2時間ほど。大寧寺の住所は長門市深川湯本門前1074-1です。



この地図は大体の位置を示すものです。訪問の際は現地の案内や地図で所在地を確認してください。

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