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キリシタンのあしあとを求めて各地を旅してめぐります♪

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シモン毛利秀包の墓

                            山口県墓所、キリシタン関連史跡

キリシタン大名毛利秀包の墓


キリシタン大名であった毛利秀包(ひでかね)の墓所。

秀包は毛利元就の九男(末子)で、キリシタン嫌いの毛利氏の中でひときわ目立つ存在です。黒田孝高の影響を受け、キリシタンとなり、孝高と同じ洗礼名「シモン」の名を受けました。

キリシタン大名大友宗麟の娘マセンシアと結婚し、領地での布教を援助したので、ルイス・フロイス神父やヴァリニャーノ神父なども、2人のいる久留米を訪問し、彼らの子供に洗礼を施したりしました。

毛利輝元から棄教の勧告を受けた際にも、領地を失うことがあっても信仰は捨てないと明言したと伝えられています。

毛利秀包の墓


毛利秀包は関ヶ原の戦いで西軍につき敗れ、久留米に戻る途中赤間関(今の下関)で急死しました。

レオン・パジェスの「日本切支丹宗門史」には、「宣教師の偉大な友」であった秀包は、「実に立派な心がけを持ったまま死んでいった」と書かれています。

秀包の葬儀は大寧寺で行われ、墓はここに作られましたが、位牌は長く殿居の毛利元鎮隠棲地の位牌堂に置かれていました。

ところが滝部のキリシタン研究家樋口彰一氏が位牌を墓のある西楽寺に移してしまったので、現在は西楽寺に位牌もあります。

秀包の墓と石碑


しかし西楽寺は秀包の死去時にはなかったのです。秀包は西楽寺に葬られたのではなく、秀包の墓の前に、後に西楽寺ができたので、秀包の墓も管理するようになったわけです。

つまりこのことを知らないで訪れる人は、始めから西楽寺に秀包の墓も位牌もあったと考えてしまうわけです。

自分の考えで史料を勝手に移してしまうことは、混乱を招き迷惑なことです。元鎮やマセンシアが手元に置いて冥福を祈ったであろうものが、その経緯を離れて後でできた寺に保管されていることを遺憾に思います。


西楽寺

秀包の墓と石碑

秀包の墓

業績を記した石碑


 
現地への行き方
JR下関駅から車で1時間ほど。墓のある西楽寺の住所は下関市豊北町滝部3099です。



この地図は大体の位置を示すものです。訪問の際は現地の案内や地図で所在地を確認してください。

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