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キリシタンのあしあとを求めて各地を旅してめぐります♪

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萩博物館

                            山口県殉教地、キリシタン関連史跡

殉教者熊谷元直の屋敷跡


2008年に列福されたキリシタン武士メルキオール熊谷豊前守元直(くまがい・ぶぜんのかみ・もとなお)の屋敷があったとされる場所。
現在は博物館が建てられ、多くの観光客が訪れる場所となっています。

萩博物館の門


熊谷元直は弘治元(1555)年頃生まれ、祖父の代から仕えた毛利家のために、豊臣秀吉と戦った猛者。

キリシタンになったのは、黒田孝高の熱心な勧めによるもので、天正15(1587)年頃であったとされています。洗礼名はメルキオール。

関ヶ原の戦い後、西軍についた毛利輝元が領土を大幅に削られて萩に追いやられた時、元直は主人を替えることを良しとせず、付き従ってきました。

萩博物館の建物


毛利輝元のキリシタンに対する態度は、年ごとに違い、天正9(1581)年にはイエズス会の巡察使を捕らえようとしたかと思えば、翌年には領内に神父を派遣するよう要請し、教会を一つ建てることまで約束しました。

しかし徳川幕府が安定するにしたがって、輝元はキリスト教禁令を領内に強いる必要を感じ、元直に棄教するよう要求しましたが、元直はこれを拒否しました。

萩博物館の塀


慶長10(1605)年に起こった砂利横領事件を口実に、輝元は元直の屋敷を包囲し、切腹するように迫りました。

元直は自ら命を絶つことを拒み、市中を引き回して輝元の眼前で処刑してくれるよう要求しましたが、それが受け入れられないことを知ると、奥の間に入り、最良の服に着替えました。

聖画の前に跪き祈る元直の首を、輝元から派遣された者の一人がはねました。元直は最後まで無抵抗でした。

元直が殉教者であるか否かは長く議論されてきましたが、史料の研究が進み、殉教者としての要件を備えていると認められ、2008年ペトロ岐部と187殉教者の一人として列福されました。

熊谷元直の屋敷跡で殉教の地でもあるとされる萩博物館には、彼に関する碑や説明板などがなく、多くの観光客が訪れているにも関わらず、稀有なキリシタン武士の存在を知らせることがてきていない状況です。萩にはキリシタン殉教者記念公園もありますが、大型バスの乗り入れが不可能な場所にあるので、あまり人が訪れることはありません。多くの人の目に触れる博物館にこそ、説明板などがあればいいだろうにと、非常に残念に思います。


 現地への行き方
萩バスセンターから循環バス「晋作くん」に乗って、「萩博物館前」下車すぐ。



この地図は大体の位置を示すものです。訪問の際は現地の案内や地図で所在地を確認してください。

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